もしも私が家を建てたなら
20年前に書いた雑文です。
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私の憧れの家の話をしましょうか。
私の好みによく似たその家は、
白い木壁にダークグリーンの屋根。
窓枠も同じ深緑色です。
白いペンキを塗ったオープンテラスには、
ガーデンチェアとハーブの鉢植え。
門にはまだ若いモッコウバラのアーチが作られています。
そして庭にはゴールデンレトリバーがいる。
きっと私の作りたかった家はこんな風だった気がします。
外壁をミントグリーンに。
窓枠は白に。
出窓には白いカフェカーテンを。
キッチンは暖かい木肌のカントリー風で、
スパイスを飾り吊るして。
赤いチェックのテーブルクロス。
小さくてもいい、飾りでもいい、どうしても欲しい暖炉の前には
ヘイゼルウッドの揺り椅子を。
キルトのカバーをかけたベッド。
壁にはノーマンロックウエルの絵を。
庭にはハーブを植えて、
レンガで囲った花壇には苺の実がなりますように。
黒と白の猫とビーグル。
忘れてた。
白い柵の門の横には風見鶏の風向計を。
でも、
たとえば
カントリーキッチンで作るのが豚汁だったり
テーブルには醤油を置いたトレイがあったり
ベンチソファじゃなくて座椅子だったり
ベッドよりも布団派だったり、
庭なんか猫の額より狭くて、
おまけに葱なんか植わっていて、
犬の名前がポチだったとしても。
ほんとはそれでもいいんだ。
そんなことはどうでもいいんだ。
もしも私が家を建てたなら、と歌う時は、
いつもあなたがそばにいてくれるだけでよかった。
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20年前も今も憧れの家は変わりませんね。
家族は散り散りになってしまったけど。
今は絵本の『ちいさなおうち』ような小さな小さな家に住みたいです。
梅が枝のけそう文
桜の季節ですが、、、梅の花の歌を。
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ずっと同じ道を行きつ戻りつして
あの日の私とあなたを探していました。
過ぎ去ってしまった時間の重みに思い出は翳り
ため息が私を絡めとってしまう。
もう探すこともできないほど、たくさんの時間が過ぎてしまった。
あなたの服の色をまだ覚えているのに。
固い蕾の梅の木に、ひそかに願いを結びました。
どこかであなたが梅の花を見るときに
私の思いが届くように。
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抱き合えぬ人を想えば萌えいづる梅花となりて飛んでいきたし/佐山みはる
この短歌も20年前に作りました。
まだ短歌結社にも所属しておらず、荒削りです。
この頃はまだ万葉を意識した歌が多いんですよね。
雨(2)
雨。
君に案内されたミルクホールは、小町通りの路地を入ったところにあった。
派手さはないが雰囲気のいいドアを開けて中に入ると
骨董の器が無造作に並べられていた。
明かり取りだけの薄暗い店内に
お似合いのジャズが流れる。
ぎしぎしときしむ床、達磨ストーブ、夢二のおんなの絵。
「ね。素敵でしょ」
紅茶のカップで掌を温めながら、君はやっと笑った。
僕らは落書き帳をめくっては、そこに書かれている誰かの思い出に
共感したり笑ったりした。
この店の胎内のような空間がぼくを感傷的にさせるのか。
このままずっと君といたいと、許されるはずもないことをぼくは願っていた。
雨はまた激しく降り始めたようだった。
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1998年に書いた雑文です。
こちらは男性側になって書いています。
今はなき鎌倉のミルクホールは、遠い記憶の中ですわ~。
散るもよし逢う口実の花衣
“余生を楽しむ”ためのブログなので、新旧にとらわれず書いてみようと思う。
散るもよし逢う口実の花衣/佐山みはる
雨
肩先を濡らして、
かじかんだ手のかたほうをポケットに入れて歩く。
小町通りの路地を入ったミルクホールは
天窓だけの薄暗い店内。
止まったままの柱時計。
静かなジャズが流れている。
ここにいるとほっとする。
何も考えなくていい。
「まるで胎内にいるみたいだね」
そうね。
あなたもきっと気に入ると思うわ。
落書きノートにはたくさんの思い出たちが綴られている。
ページをめくりながら、私たちの思い出もめくる。
いつからか思い出は
記憶の中にしか刻めなくなってしまっていた。
近づいてくるさよならに気付いていたから、
わざと余計に楽しそうに笑ったのでしょう。
「また連絡するよ」
それは決して嘘ではないけれど、いつも儚い夢と同じ重さ。
来たとき同じように別々のホームへ向かう。
手のひらでお土産の星砂のキーホルダーが
カチャリと小さく音を立てた。
雨は一晩中降り続けた。
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1998年に書いた雑文です。
20年も前か~。
鎌倉のミルクホールは今はもうありません。
星砂も遠い昔ですね。
あらためまして*はじめまして*
こちらでははじめまして。
佐山みはるです。
アメーバではmichaela(ミカエラ)という名前で
スピ系のブログを書いています。
佐山みはるという名前は、
私が短歌や俳句などを作っていたときのペンネームです。
ここでは、私が撮った写真を載せたり、
表現者として書いていきたいと思っています。
10代の頃はずっと詩を書いていました。
20代、30代は、生み出すものは子どもへ変わり
40代で短歌と出会いました。
(歌人、酒井佑子さんとの出会いは刺激的でした)
50代はスピリチュアル漬け。
60代に手が届く頃、ふたたび、表現の世界に戻ってきました。
これからはもっと自由に、
感じるものを素直に、
自分とも誰とも闘わず、
私の世界を表現していきます。
どうぞよろしくお願いします。
Hellow World!未知の世界へ意識を向ける牡羊座6度
牡羊座6度「一辺が明るく照らされた四角 」
三角(牡羊座5度)の次は四角です。
四角だから、安定。となるのでしょうが、
ネイタル火星がこの度数の私はソウカナ?と思ってしまいました。
なんかしっくりこないぞ、と。
サビアンシンボルの解釈にはこれが正解というものはないようでして。
人それぞれの経験によって解釈が違っていて当然と思われます。
なので、私流に解釈オーライです(笑)
一辺が明るい四角ってイメージしづらいと思います。
たとえば、ドアがあって、ドアの下と床の隙間から光が漏れている。
イメージとしてはそんな感じ。
四角とは「世界」を総称するシンボルだと。
なるほど。
さっきのドアに例えると、外の世界につながるドアの隙間から光が漏れている。
ドアの向こうに何かがあると知るわけです。
もしかしたら、それまではドアに対する認識がなかったかもしれません。
生まれた時、もしくは物心付く前から部屋の中だけで暮らし、
そこから出たことがなければ、その薄暗い空間が世界であり、
ほかに世界があることなど知ることはないでしょう。
でも、ある日、壁の飾りと思っていたドアの隙間に明るい光を発見したら・・・。
このドアを開けるか、開けないか。
外には何があるかわからない。
未知の世界。こわい。
でも、留まれば安全。
今までだって不自由はしてなかったんだし。
お気に入りがたくさん。
でも、外の世界はもっと楽しいのかもしれない。
美しいものがたくさんあるのかもしれない。
私を待っている人がいるかもしれない。
開けるか、開けないか、迷いますね。
好奇心旺盛な子どもなら、きっとドアを開けるでしょう。
ドアを隔てて、こちら側もあちら側も
自分にとっての世界には違いありません。
どんなことが待構えていようとも。
あなたはドアを開けますか?
『ルーム』(2016年4月)という映画がありました。
生まれてから1度も外の世界を知らなかった男の子が
初めて外の世界を知ったとき「こわいよ」と言ったことばがとても印象的ですね。
大きすぎる空と頬をかすめる風をこわいと思った。
この映画の中で、男の子は
母親とふたりだけの閉じられた世界から広い世界へ移動しました。
そこで初めて(親以外の)他者を知り、自己を認識していきます。
自分を知るには他者の存在が必要ってことですね。
そして母親も奪われた人生を取り戻すために自分と向き合う。
この男の子の年齢が5歳の設定で、牡羊座5度ともリンクするなぁ。
(サビアンシンボルは+1度して読むので6度になります)
牡羊座は12星座の中では生まれたばかりの設定だしね。
ところで、この度数を持つ人は、頑固なまでに自分の好きなものにこだわるとか。
確かに私はそういうところありありです。
天才数学者と言われた岡潔さんは水星がこの度数でした。→岡潔さんのホロ読み
明かりに集まる夏の虫のごとく。やはり、安定性とは遠い気がする。