佐山みはるのブログ

佐山みはるの“余生を楽しむ”ためのブログです。

明日死ぬとしたら、今日、わたしはなにを語るだろうか。

明日死ぬとしたら、今日、わたしはなにを語るだろうか。


これから語ろうとしていることは、遺言に足る言葉になり得るだろうか。


なり得るかどうかはわからない、


ただ、あらゆる言葉は

「これが最後の言葉になるのかもしれない」と思いながら使いたい。


死にたくないと思うのは、多分、伝えきれていないなにかがあるからだ。


それは「さよなら」という言葉であり、あなたに会えてよかったとか、


愛しているとかいないとか、あなたのおかげで最高な人生になったとか、


多分、生きていたいと思うのは「伝えていきたい」と願うからなのだと思う。


(坂爪圭吾さんのブログより)

 

 

 


「これが最後の言葉になるのかもしれない」という言葉が心に響く。

 

波にさらわれた人たちは、言えなかった言葉がきっとたくさんあったでしょう。

 

 

 


あの日、私は東京の会社にいました。


人生で初めて体験した大きな揺れの中、

 

「ああ、やっと人生終われる」と思ったのです。

 

 


でも、私は生きていた。

 

 

しくじったと思った。

 

 

 

 


その時に作った短歌がこちらです。

 

大波に攫われてもよいわたくしが画面に幾度も見る大津波/佐山みはる(自作)


泣きながら父母さがす子の声が耳に住みつく春とはなりぬ

 

 

 


あの津波で死んでもよかったのは私なのに・・・

 

なぜ、あの人たちが・・・

 


という思いがこの短歌になったのです。

 

 

 


あの頃は占星術はもちろんスピリチュアルにも関わっていませんでした。


あらためて当日のホロスコープを見ると、
天王星魚座の29度にいて翌日に牡羊座に入るところだったのです。


マレフィック天体がサイン(星座)を移動するときには

衝撃的なことが起こりやすいというのが、
日本では大地震という形で再び証明されてしまったのですね。


そして水瓶座29度にいた海王星

あの大津波を引き起こしたのかもしれません。
(詳しくはプロの占星術師の方のブログ等をお読みください)

 

 

 

現在、天王星牡羊座の26度まで進みました。
5月には牡牛座に移動します。

 

 


この7年、私は何を残せただろう。

 

 

今日は亡くなられた方への申し訳なさが募りました。

 

 

ごめんなさい。


許してください。


愛しています。


ありがとう。

 

 

 

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もうすぐ私のドラゴンテイルのうえに天王星がタイトに合いになります。
(つまりヘッドとオポジション


ドラゴンヘッドテイルは世代的なものです。


実はかの有名なドリーン・バーチュー博士は同じ年なので
ほぼ同じ場所にドラゴンヘッドテイルがあります。


ドリーンさんがクリスチャンの洗礼を受けたと聞いたとき、

とても納得しました。
一時代を築いたドリーンさんも大変化を迎えているのでしょう。

 


自分の人生の残り時間を意識します。


あれもこれもをやる時間は少なくなってきました。

 

でも、誰かがやってくれるなら、

それでいいんじゃないだろうかと最近は思う。

自分が旅行に行けないとき、誰か他の人が旅行に行くことになるのは、
代わりに行ってくれているんだと思う。

 

 

私の代わりに誰かが生きて、幸せになってくれたらいいんじゃないかな。

 

私たちは皆つながっているのだから。

 

 


坂爪圭吾さんのブログを読んでいて、ある方の言葉がこころに残りました。


「わたしも死ぬまでに一回はハワイに行きたいと思っていたけれど、
ハワイに行くのは死んでからでもいいのかなと思って」

 

 

私も死んでからゆっくり行こう。


風のように、自由になって。

 

 


いいことが少なかった人生のような気がするし、


生きるってなんてメンドクサイんだ!と思ってばっかりだけど、


すべて魂の計画通りなんでしょう。

 

 

肉体を持つ人間にしかできないことをやることが、魂の目的。

 

涙の熱さも肉体があったからこそわかったこと。

 


人は誰でも「私の人生」という映画を見ています。


私の映画の幕を引くとき、

「けったいなストーリーだったけど面白かった」と言えたらいいな。

 

 

 

スクリーンに最後の言葉を残せるとしたら「ありがとう」を。